中国医学


中国医学とは、中国を中心とする東アジアで行われてきた伝統医学です。
東洋医学、中医学、中国伝統医学とも呼ばれます。
近年は欧米でもTraditional Chinese medicine (TCM、伝統中国医学)の名で、補完代替医療として広く行われています。
アーユルヴェーダ(インド伝統医学)・ユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)と共に三大伝統医学に数えられ、相互に影響を与えたと考えられています。
日本で発達した中国医学系の伝統医学の呼称を【漢方医学】といいます。

中国地域に伝わる伝統医学は多様であるが、中華人民共和国の成立以降整理され、中医学の名で統一理論が確立されました。

以下のような点が中国医学の特徴として挙げられます。
1. 全身を見て治療を行う。西洋近代医学とは異なり、複数ある症状をもって「証」という概念で治療方針を決める。
2.人間の心身が持っている自然治癒力を高めることで治癒に導くことを特徴としている。そのために生薬などを用いる。
3.診断も、四診によって行う。西洋近代医学のように機械や採血の検査結果を用いることはないよって、体を侵襲することがなく、害が少ないとされる。

■歴史
殷代の甲骨文などには「医」「薬」といった文字は見当たらず、未だ人々のあいだに医療という概念がなかったものと思われるが、やがて巫祝(ふしゅく)と呼ばれる、集落の神事とともに人々の病も癒す呪術師的存在があらわれることになります。
最初の医療は、今でいう「占い」「魔よけ」にあたるものが主流であったが、やがてそこへ生薬などの「薬物療法」や、鍼灸の原初的段階が組み入れられていきました。
それとともに巫祝も、巫を専門とする神官的な存在と、医を専門とする医師的な存在に別れていったと考えられています。
こうして秦以前にも扁鵲(へんじゃく)などの名医の存在が数々の記録に残っており、たとえば扁鵲は六不治の一つとして「巫を信じて医を信じざればすなわち不治」をかかげ、すでにこの時代に医者と呪術師的な存在、すなわち医学と宗教とは明確に分離されていたことをうかがわせます。

前漢(紀元前202年~紀元8年)の時代には『黄帝内経』という現在知られている最古の医書が編纂されています。
後漢(25年~220年)の時代に張仲景により『傷寒雑病論』が編纂されました。
ただ、この『傷寒雑病論』は、長い戦乱で散逸し、雑病の部分だけが見つからず、『傷寒論』だけが残り、孫思邈の『千金要方』などに、引用文などが書かれてはいたものの、『雑病』にあたる部分は発見されずにいました。
北宋時代に王洙が『金匱玉函要略方』を発見し、その後半部分が『雑病』の部分にあたるとして、林億らによって、『傷寒論』と重複する部分を分けられ、『金匱要略(正式名称は金匱要略方論)』として、世に出回ることになる。
張仲景は『傷寒雑病論』の序文において、『黄帝内経』を理解してから読まなければならないと書いているため、『黄帝内経』も読まずに『傷寒論』『金匱要略』を軽々しく扱うことを疑問視する流派もあります。
『傷寒論』は現在医学での流行性感冒と推測される急性熱性疾患をモデルに病勢の進行段階と治療法を論じたとする流派もありますが、『傷寒』とは狭義の意味は急性熱性疾患ですが、広義は熱性疾患のみに留まらぬ意味もあるため、これもまた意見の分かれるところでもあります。
中国医学は張仲景によって初めて理論的に体系化されたともいわれます。

唐代の孫思邈は、医学全書である『備急千金要方』などを著すが、これまでの医学思想に神仙系の医学思想や仏教医学の思想を加味しました。
『傷寒論』の薬方を取り入れて『千金翼法』を著した。

金・元時代(960年~1367年)には金元四大家と呼ばれた劉完素、張子和、李東垣、朱丹渓らが現われました。
『黄帝内経』の理論を元に六淫理論、四傷理論といった新しい理論が表されました。
一方南宋では「太平恵民局」という公立の薬局が設けられて医者や官民に良質な薬を提供するシステムが構築され、宋慈が『洗冤集録』という世界初の本格的な法医学書を著しており、こうした成果は南宋を滅ぼした元王朝にも継承されました。
また、明の時代に医師の李時珍が『本草綱目』を著して薬学・本草学の分野でも大きな進歩がありました。

中国においては、戦後、国民党政府の伝統医学廃止運動に反発する形で、共産党政権による伝統的医学復興が国策として行なわれ、「中医学」としてまとめられました。
現在、西洋医学を行なう通常の医師と、伝統学を行なう「中医師」の二つの医師資格が併設されています。
中華人民共和国成立に伴い、中国共産党は、大陸各地に点在していた伝統医療の担い手を「老中医」と呼んで召集し、伝統医学の教育に充てました。
ただし、清末以来戦乱に明けた大陸では、体系立った伝統医学などは残っておらず、老中医にしても、ほとんどが家伝の生薬方なり鍼灸方なりを、各個伝えているだけでした。
このため、これら個々の伝統技術を統合する理論体系が必要とされ、毛沢東の強い意向を受けて、伝統医学が整理・統一され「中医学」理論が設えられました。
つまり、現在の中医学は、中国において統一教科書教育が必要になった1959年を皮切りとし、文化大革命の時期を中心として展開されたもので、これ以前の中国医学を「中国医学」、以降を「中医学」として区別する考え方もあります。
1958年の南京中医学院が編纂した教科書『中医学概論』では、五臓六腑ごとに病証が展開されており、病証も『千金方』の五臓病証に類似しています。
この教科書では「肝虚寒証」のように現在の中医学では用いられない病証が含まれます。
また『千金方』には「腎実熱」などまで含まれます。

鍼灸を例にすれば、現在の中医理論は経絡治療と似ていて五臓の母子関係や相剋関係を中心に理論構築を展開します。
およそ1960年代より、雑病の一つだった「肝気郁逆」(「肝気鬱滯」)が肝の基本病証の一つとなった。
また、「肝鬱気滞」が肝実証である、という認識は中国ではあるけれども、日本での認識は乏しく、「肝実証」という発想は、脈診を中心として診断をおこなう経絡治療家にも理解しやすいものです。

【漢方医学(和漢方・和方)】
日本で発達した中国医学系の伝統医学の呼称を漢方医学といいます。
中国を起源とする伝統医学は、古代から断続的に日本に伝来していたが、大陸で失われた古文献や古い技術も維持されたものがあり、現在では鍼灸・生薬ともに、中国医学とは趣を異にする物に発達しています。
例えば、中国では腹診は廃れたが、漢方医学においては重視されており、逆に中国で重視される脈診は日本ではあまり重んじられません。
薬用量も、中国で使われる量に比べ、生薬を輸入に頼っていた日本の量は3分の1程度となっています。

日本の中国医学系伝統医学は、江戸時代に蘭方に対して用いられた漢方または漢方医学という名が、一般的に使われています。

参考:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/


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